グッド・サマリタン・チャーチ大阪淡路チャペル

 

聖書の概観 旧約聖書 モーセ五書


 

 旧約聖書の初めから五冊目までを指す名称で、旧約聖書の中心的部分を占めています。ほかに「法律の書」とも呼ばれます。神様はイスラエル民族を選び、彼らをとおして、全世界に祝福をもたらすことを約束なさいました。

 具体的には、「法律」を授けて守るように教え、イスラエルが法律に背けば彼らを罰し、神様の国民としての任務を果たせるよう、教育されたのです。以上の経過を、この五書から知ることができます。

 

創世記

 本書は、だれもが一度は思いめぐらす天地創造と人類の初めについて、科学用語を使わず、人が目で見るような、素朴なことばで記されています。

  さらに、罪の起源や、その罪によって人々が滅ぶことのないようにと、神様が用意された計画について、説明されています。

 また、アブラハムを先祖とするヘブル民族の始まりと、イサク、ヤコブからその息子たちの歴史に及び、エジプトに行ったヨセフの物語で終わっています。


創世記1-11章 Genesis 1-11【概観】
創世記12-50章 Genesis 12-50【概観】

出エジプト記

 神様は、すぐれた指導者モーセに、エジプトの奴隷となっているイスラエル人を解放する使命をお与えになりました。

 そのモーセをとおして、神様の命令に従おうとしないエジプト王に、神様は十種類の災害をもたらしたのです。 過越の祭りは、最後の災害の時に制定され、その後イスラエルでは、神様が民を解放してくださったことを記念するものとなりました。

 人々は紅海を渡り、シナイ山に着き、そこで、神様から十戒や神の天幕の設計図を授かり、神の国民とされました。 


出エジプト記1-18章 Exodus 1-18【概観】
出エジプト記19-40章 Exodus 19-40【概観】


レビ記(礼拝規定)

 イスラエルには、祭司の働きをするレビ部族がいました。 本書は、彼らのためのハンドブックとして書かれたものです。

 ここには、イスラエル人の生活を律する規則、いけにえや礼拝に関する具体的な諸規則などが定められています。 主要ないけにえのささげ方とともに、いけにえの儀式および主な祭りや祝日についても記されています。

レビ記 Leviticus【概観】


民数記(イスラエル放浪記)

 本書は、シナイ山からカナンの国境までイスラエルが旅したことと、約束の国に入るための準備について書かれています。

 イスラエルの罪と不信仰のために、すぐにはカナンの国を相続できず、四十年間、荒野をさまよう姿が印象的です。

 四十年たって、イスラエルはようやく、カナンへの道に引き返しました。 今度こそ、神様の命令に従う用意ができたのです。 ヨルダン川の東側で幾つかの重要な戦いに勝ってから、イスラエルはその約束の地に入ることになりました。  


民数記 Numbers【概観】


申命記(モーセの最後の説教)

 カナン入国を前に、モアブ平原でなされたモーセの一連の演説や、種々の規則、およびモーセの後継者ヨシュアの任命などについて語られています。

 モーセは演説の中で、その時までに起こった事件を要約し、人々に信仰と従順の道を歩むよう訓戒し、神様が与えた任務にイスラエルが再献身するよう呼びかけています。

 ヨシュアの任命およびモーセの死とともに、古い秩序は終わり、イスラエルの将来は次代の人々の手に移ります。

申命記 Deuteronomy【概観】
              

(『リビングバイブル』いのちのことば社 からまとめたものです)

 
 

聖書の概観 旧約聖書 イスラエルの歴史


 

 舞台はいよいよ約束の国に移り、そこでくり広げられるイスラエル興亡のさまが描かれます。先住民を追い出し、約束の地を各部族に割り当てて定住したイスラエルには、危機の時には適切な指導者が現われ、民族を滅びから救いました。

 やがて王が立てられ、国として栄えたのち、宗教が混乱し、国政も乱れ、ついにはバビロンに捕囚となり、国家としての形さえ失ってしまいました。バビロンからの解放後、エルサレムに帰ったイスラエルは、城壁造りや神殿建設に力を注ぎました。

 

ヨシュア記(カナン征服記 上)

 モーセの死後、国家の指導権はヨシュアに移りました。 イスラエルがその地を征服する全期間を通じて、ヨシュアは信仰的にもすぐれた総指揮官でした。 モアブ平原でヨシュアに訓練されたイスラエル軍がヨルダン川を渡ると、戦いが始まったのです。

 大きな三つの戦争があり、それぞれの戦いに勝ったのち、約束の地はイスラエルの各部族に分割されました。 使命を終えたヨシュアは、人々を訓戒し、平和のうちに死んでいきました。


ヨシュア記 Joshua【概観】


士師記(カナン征服記 下)

 本書は、カナン征服後の数百年間のことを記しています。 その時代に、人々は、士師とか救国者とか呼ばれる指導者に従っていました。

 指導者たちの主な任務は、軍事的なことで、敵を国から追い出すことでした。 イスラエルの歴史上、この時期は悲劇のくり返しで、神様に反逆すると間もなく外国軍が侵入するという形で、神様のさばきがあったのです。

 イスラエルの人々は、そのつど神様に助けを叫び求め、士師が彼らを救うために遣わされました。 本書には、こうしたくり返しが何回も見られます。 残念なことに人々は、神様に反逆することが明らかに災いへの道だということを、なかなか悟りませんでした。


ルツ記

 本書は、混乱した士師時代のもう一つの面を描いています。 イスラエルの罪のために起こった血なまぐさい戦いを離れて、ほっとひと息つける書です。

 ルツというのは、不運な義母ナオミに、どこまでもついてゆく決心をした婦人の名前です。 神様は、彼女に夫ボアズと子供を与え、ナオミには孫を与えるという形で、二人をしあわせにしました。 この家族から、やがてダビデ王が出るのです。


サムエル記 T(王国成立記 上)

 本書は、好戦的な隣国ペリシテによってイスラエルが圧迫されることで始まり、初期の二人の指導者、サムエルとサウルについて記されています。 サムエルは宗教的指導者であり、サウルは最後には王となりました。

 サウルは初めは勝利を収めますが、のちには道徳的堕落のために悲劇的な最期を遂げます。 そして、サウルの堕落をかき消すかのように、彼の後継者となる青年ダビデが登場します。


サムエル記U(王国成立記 下)

 本書は、大部分が、およそ四十年にわたるダビデの統治について記されています。 ダビデ王の即位に始まり、王位を主張する他の人々に対して確固とした地位を築いていくさまや、エルサレムに首都を移し、契約の箱を運び込み、ついにはペリシテ人を打ち破ることなどが、主な内容です。

 息子アブシャロムにまつわる家族の問題や、バテ・シェバとの姦淫という個人的な問題を含めて、ダビデの生涯の暗い面についても、くわしく描かれています。


T列王記(王国衰亡記 上)

 本書は、ダビデの死で始まり、神殿建設を含むソロモンの治世を描いています。 さらに、国が北王国イスラエルと南王国ユダに分裂したことに触れ、エリヤとイスラエル王アハブとの華々しい闘いで終わっています。

  エリヤとアハブの争いは、神様が人間生活に直接介入し、人間に関心をはらっておられることを教えるとともに、社会悪が国民の霊的生活に悲惨な結果をまねくことを物語っています。


U列王記 (王国衰亡記 下)

 本書は、二つの国家的悲劇を含む、およそ二百五十年間にわたる出来事を記しています。 紀元前722年に、北王国イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ、587年に南王国ユダがバビロンに滅ぼされました。

 本書は、諸王の統治を、霊的意義に注目しながら記述しています。善王と悪王、戦争と平和、繁栄と衰退のいずれの時代でも、神様は変わらずに生きて働き、預言者を遣わし、ご自分の考えを伝え、さばきが来ることを警告しておられます。


歴代誌T(イスラエル年代記上)

 本書は、祭司の視点から書かれていて、預言者の視点で書かれた列王記を補っています。

 ダビデ王家の歴史と、祭司を務めるレビの子孫を記録した一連の系図で始まり、国家の宗教的事情に特別な関心をはらいつつ、サウルの死とダビデの統治に言及し、ソロモンが王になったところで終わっています。


歴代誌U(イスラエル年代記 下)

 本書は、ユダの歴史と繁栄したソロモンの統治、および神殿の栄光に、特別の強調点を置いています。 この強調は、本書全体が祭司の視点から書かれているためです。 また、ユダの王たちとその時代の宗教事情がどうなっていたかが描かれています。

 ヒゼキヤ王は、祈りによって統治期間が延長されたことで、特記されています。 エルサレムの滅亡やバビロン捕囚にも言及し、ペルシヤ王が人々の帰国を許可する布告を出したところで終わっています。


エズラ記

 本書は、イスラエル人がバビロンでの捕囚を終えて、パレスチナの地に帰ることを、主な内容とします。 著者は、第一次帰還と神殿工事がどのように始められたかを述べたあと、起こってきた問題について述べています。

 非常に多くの困難や初期の失敗を乗り越えて、ついに神殿は復興され、栄光ある神様に再びささげられたのです。 エズラの主な働きとして、捕囚から帰って自分勝手に生きている人々のために、神様にとりなしの祈りをすることが記されています。

ネヘミヤ記

 本書は、エズラ記の内容を受け継いで、再建された社会の生活に言及しています。 エズラ記の中心点は神殿の再建であり、ネヘミヤ記の中心点はエルサレム城壁の再建です。

 エルサレムには人々を保護するために城壁が必要なことを述べ、次に、内外に起こった数々の問題にもかかわらず、城壁がどのように修復されたかを記しています。


エステル記

 本書は、ペルシヤ人がバビロンを滅ぼしたのちも、多くのユダヤ人が捕囚の地に残っていたころに起こった、重大事件について記されています。 物語は、ペルシヤ王アハシュエロスの王妃になった、エステルという一ユダヤ人にまつわるものです。

 王の相談役ハマンは、ユダヤ人の財産管理権を獲得するためユダヤ人虐殺を企てますが、エステルが介入し、自国民の破滅を防ぎました。 ハマンが処刑され、小さな市民戦ののち、再び平和が訪れます。 この記念すべきユダヤ人の救出は、プリムの祭りとして祝われ、今日まで続いています。


 

(『リビングバイブル』いのちのことば社 からまとめたものです)

 
 

聖書の概観 旧約聖書 文学書


 

 ヨブ記からソロモンの愛の歌までをまとめて、文学書、あるいは知恵文学と呼んでいます。預言書はイスラエル民族の没落期に属しますが、文学書のほとんどは、イスラエルの歴史の黄金時代(紀元前千年ごろ)に属しています。

 特に詩篇は、賛美と告白の文学であり、根底には信仰と服従のテーマが流れ、神様の前にあるイスラエルの心が、つぶさに記されています。

 イスラエル独特の知恵は、神様から出ており、生きて働かれる神様をまず信じ、たいせつにすることによって与えられるものだ、と説かれています。


ヨブ記

 本書は、人間がもつ最も深遠な問題に触れています。 もし、罪や苦しみに対して何らかの力を発揮できる神様が存在するなら、どうして、まだ罪や苦しみがこの世にあるのか、という問題です。

 本書の初めは、苦しんでいるヨブが三人の友だちと討論するところです。 エリファズ、ビルダデ、ツォファルはそれぞれ、ヨブの不幸を異なった方法で説明しようとします。 四番目の人物エリフは、状況の要約をし、かつ、ヨブがなぜ苦しみを受けているかについて、別の解釈をします。

  最後に、神様ご自身がヨブに語りかけ、ヨブは人生の諸問題の解答を得ることより、むしろ神様ご自身を必要とすることを悟ります。 こうしてヨブは、以前にもましてすばらしい境遇に戻されたのです。


詩篇

 人間のどんな感情も、神様の前にさらけ出すことができ、神様はそのことを祝福なさいます。 本書には、悲しみと喜び、怒りと平安、疑いと信仰、悔い改めと賛美などがあります。

 また過去の回想、現在生きていることの苦しみ、輝かしい未来の幻もあります。 多くの個所で、神様から遣わされる救い主イエス・キリストの受難や栄光の姿が記されています。 


箴言

 箴言は、充実した人生を送るための実際的教訓集です。 人々を悔い改めに導く働きをする預言者の教えや、人々の礼拝を導く祭司たちの教えを補うものとして、神様から与えられたものです。

 箴言には、神様の知恵とともに、もともと人間に備わっている知恵や常識などもあり、それぞれ、日常生活に役立つものです。

 何世紀にもわたる実際的格言も集められていて、子供の訓育、社会正義、むだ話、行儀作法などについて、種々論じられます。 そして、すぐれた妻について意義深く描かれた記事で、終わっています。


伝道の書(ソロモンの人生論)

 この難解な書物は、神様から離れて平安を見つけようとした人が、そこには空しさしかないことを悟った、光のない人生論を記しています。

 人生の疑問に対する唯一の解答を、本書は結論としています。 すなわち、「神様を敬い、その命令に従いなさい。 これこそ人間の本分だからです」(一二・一三)が、それです。

 この積極的な考えが導き出されるためには、幾つかの描写があり、それぞれは、神なしの生活がいかに不毛かを語っています。 財産、知恵、名声、快楽など、すべては空しく、人がこの世にではなく、神様に心を向ける時にだけ、真の幸福を見いだせます。 

雅歌(愛の歌)

 ソロモンとシュラムの婦人との愛を歌う本書は、叙情詩や歌でつづられていて、「歌の中の歌」と言われています。

  内容は単純ですが、感動的で、恋人同士がお互いに求め合う姿や、克服しなければならない葛藤、愛によって呼び覚まされるやさしい感情から、恋人同士がいっしょにいる喜びなどが描かれています。

  ソロモンや彼の恋人とともに登場するエルサレムの娘たちは、彼女たちの観察を加えることにより、物語を劇的なものにしています。 


(『リビングバイブル』いのちのことば社 からまとめたものです)

 
 

聖書の概観 旧約聖書 イスラエルの預言者


 

 預言者は、単に将来のことを告げるのではなく、特別に神様から使命を受けて、神様の考えを人々に代弁しました。彼らのことばだけでなく、行ないも生活も、すべてが預言でした。

 盛んに活躍した時期は、北王国が偶像礼拝に染まり、南王国も偶像礼拝に明け暮れて、神様の名が人々の心から消えかかっていた、紀元前八百年から四百年ころです。

 預言者は、政治の腐敗や道徳的な堕落を責めることより、むしろ、その原因となっている偶像礼拝をきびしく責め、まことの神礼拝に立ち返るよう力説しました。

 

イザヤ書(イザヤの預言)

 イザヤの働きは約六十年間で、改革者ヒゼキヤを含む四代の王にわたりました。 彼は、主としてユダに遣わされた預言者でしたが、北王国イスラエルに対しても語りました。

 彼はまた、イスラエルとユダの、内乱の恐ろしい時代に生き、紀元前七二二年のアッシリヤによる北王国滅亡を、目のあたりにしました。

 その滅亡から得た身の引きしまる教訓を忘れず、ヒゼキヤに、エジプトとの軍事同盟をやめて、神様だけに頼るよう絶えず勧めました。 神様は伝染病を送って、強力なアッシリヤ軍からユダを救いました。

 また、イザヤは自分の時代を超えて、将来、ユダが奴隷になることや、神様が用意なさる解放についても預言しています。

エレミヤ書(エレミヤの預言)

 エレミヤは、ユダ滅亡前の四十年間に活躍しました。 彼は、「新しい出発のために、神様のさばきを受けよ」と力説したのです。

 エレミヤは、バビロン軍の侵入、敵による自国民の国外追放、エルサレム住民の殺害、神殿の破壊など、つらい経験を重ねました。

 彼はこれらの出来事について人々に警告し、罪から離れて神様に立ち返るよう、涙を流して勧めましたが、むだでした。 ただ、あざけられ、迫害されるばかりでした。 


哀歌(悲しみの歌)

 本書は、都エルサレムの陥落を悲しんで作られた歌です。 破滅を目撃した著者は、一語一語に、絶望した心の響きを伝え、また、その破滅がいかに恐怖に満ちたものかを語っています。

 それは、神様に反逆した報いとして、どれほど恐ろしい代価を支払わなければならないかを、人々に知らせるためでした。

  しかしその中にも、わずかながら慰めを与える個所もあります。 五章のエレミヤの祈りは、かつて栄えた都エルサレムの廃墟のかなたに、永遠に王座をすえる神様を仰ぎ見ています。


エゼキエル書(エゼキエルの預言)

祭司エゼキエルは、紀元前597年に、捕囚としてバビロンに連れて行かれ、そこで神の預言者となりました。

 彼は、エルサレムに残っている人々に、必ずさばきが下ると説きましたが、周囲のユダヤ人は快く聞き入れませんでした。  


  しかし、彼の予告どおり、五八七年にエルサレムが崩壊してから、人々ははじめて彼のことばに熱心に耳を傾けるようになるのです。

  エゼキエルの預言は、この時を境に、暗いさばきの内容から、将来に対する慰めと希望に変わります。 最悪の事態はすでに過ぎ、今は再出発の用意の時だからです。 


ダニエル書(ダニエルの預言)

 ダニエルは、少年のころ、バビロンに捕らえ移され、捕囚の身でありながら、そこで教育を受け、バビロン政府や、のちにはペルシヤ政府の高官になりました。

  神様を信じていたために、ライオンの穴に投げ込まれるような残忍な迫害を受け、同胞の友だち三人も炉に投げ込まれたりしました。 しかし、神様の力によって生き残ったのです。

 本書は、ダニエル時代の歴史上の事件に言及し、将来についての預言なども含んでいます。 ダニエルは、来たるべき大世界帝国をはじめ、神様の力や、メシヤであるイエス・キリストの幻を見ます。

 やがて、メシヤが来てこの世の悪を滅ぼし、究極的には、永遠に過ぎ去らない正義の王国を確立するのです。  


ホセア書(ホセアの預言)

 本書は、ふぞろいな二つの部分からなっています。 すなわちホセアの生涯(1章〜3章)とホセアの説教(4章〜14章)です。

  ホセアは、紀元前722年の滅亡に先立って、北王国イスラエルに遣わされた預言者で、働きはおよそ40年間に及びました。

  彼はアモス、イザヤ、ミカと同時代の人でした。 ホセアの不幸な家庭生活は、北王国の状態を象徴的に表わしています。 彼の妻が、売春のために家出したように、イスラエルは偽りの神々を求めて神様から離れ、その結果、国中にみだらな生活が広がりました。

 しかし、ホセアが妻を愛し続け、ついには、もう一度連れ戻したように、神様はイスラエルを愛し通し、やがては国を再建し、恵みを与えることを約束しました。 


ヨエル書(ヨエルの預言)

 本書は、神様がやがてエルサレムをさばかれることを表わすのに、いなごの災害を象徴的に取り扱っています。 当時、いなごによって国土が食い尽くされたように、もし国民が罪を悔い改めないなら、敵軍によって滅ぼされると警告しています。

  しかし、人々が心から神様に立ち返るなら、国は栄え、神様は再び祝福してくださいます。 近い将来でなく、やがて神様がすべての人に聖霊を注がれる時にこそ、神様のいつくしみが表わされるのです。 


アモス書(アモスの預言)

 アモスは、ホセア、イザヤ、ミカと同時代の人で、ホセアと同じく南王国の出身でした。 しかし彼は、北王国イスラエルに対して語りました。 彼は、まず周辺諸国へのさばきを宣べ、次に、イスラエルだけに集中して宣告します。

 さらに、イスラエルの罪を痛烈に非難する個所が続き、特に、当時の社会的罪、すなわち不正、役人の腐敗、貪欲、偽りの礼拝などを指摘します。

  きびしい調子の警告のあとに、一連の幻が述べられ、イスラエルがやがては耳を傾けるという、かすかな望みを記して終わります。 


オバデヤ書(オバデヤの預言)

 本書はエドム滅亡の預言です。

 この国は紀元前五八七年、バビロンがエルサレムを攻めた時、援軍を出さないばかりか、むしろ敵方に味方し、傷ついた都の略奪に加わったのです。 エドム人はエサウの子孫であり、イスラエル人はヤコブの子孫です。 ヤコブとエサウは兄弟でした。

 エドムが罰せられるのは、兄弟イスラエルに対する暴虐行為のためです。 エドムは、裏切りと高慢のために神様にさばかれたのです。 


ヨナ書(ヨナの預言)

 ヨナはイスラエルの預言者で、まもなく(紀元前七二二年)イスラエルを滅ぼそうとしていた敵国アッシリヤ(首都ニネベ)に、悔い改めの説教をするように、神様から示されました。

 しかし、ヨナの愛国心が異教徒に救いをもたらすことを許さず、彼は船で神様から逃げようとします。

  その途中、海に投げ込まれ、大魚にのみ込まれますが、やがて海岸に吐き出され、ついには神様の命令に従い、ニネベ宣教に出かけたのです。 しかし、人々が悔い改めたのを見て憤ったヨナに、神様は一本の木をとおして、実物教育をすることになります。 


ミカ書(ミカの預言)

 ミカはイザヤと同時代の人で、紀元前八世紀にイスラエルとユダの両国に宣教しました。

  彼は、エルサレムの南の小さな町モレシェテに住んでいましたが、首都であるエルサレムとサマリヤに向けて預言しました。 彼らの圧制、高慢、貪欲、腐敗、偽りの信心、傲慢などを手きびしく非難したのです。

  国の指導的立場にある首都は、罪ではなく、正義の手本となるべきで、正義である神様は、それらの町の行為をさばかれる、と説いています。 


ナホム書(ナホムの預言)

 本書は、アッシリヤの首都ニネベ滅亡の預言です。 アッシリヤ人は紀元前七二二年にイスラエルを滅ぼしましたが、六一二年には、その高慢と残忍さのゆえに、自らが滅ぼされることになりました。

 ナホムは、当時、地上の女王のように振る舞ったニネベに宣教し、滅亡の原因を生々しく語っています。

 その原因とは、偶像礼拝、残忍性、殺人、偽り、裏切り、迷信、不正などです。 そこは血でいっぱいの町(三・一)で、そんな町が永続するはずはないのです。 


ハバクク書(ハバククの預言)

 ハバククは、紀元前五八七年にエルサレムが滅亡する直前の、ユダの最後の時代に活躍しました。

 彼は降りかかる行く末を思って、二つのことに悩みました。

 すなわち、なぜ神様はユダの国を敵の手に渡すのか、また、なぜユダをその罪のために罰しながら、バビロンのような罪深い国の存在を許すのか、でした。

  神様はハバククの疑問に答えて、幻の中でご自身をお示しになりました。 神様の存在についての新しい洞察から、ハバククは自分の不十分さを知り、その暗き時代に、何ものにも動かされない力をもって生き抜く勇気を与えられたのです。 


ゼパニヤ書(ゼパニヤの預言)

 ゼパニヤは、ユダが紀元前五八七年に滅ぼされる前の数十年間に活躍した預言者です。

 ゼパニヤが宣教した時、ヨシヤ王はゼパニヤの預言で奮起し、六二一年には徹底的な改革を始めました。 しかし、これらの改革はあまりにも現実性に乏しく、遅きにすぎたのです。 人々はすぐ悪の道に逆戻りし、都はバビロン軍の侵入で滅びました。

 ゼパニヤの警告はきびしい調子のもので、神様の公正なさばきに基づいていました。 ユダばかりか、ほかの周辺諸国も、自分たちの罪に対する神様のさばきを感じることになります。


ハガイ書(ハガイの預言)

 ハガイはゼカリヤと同時代の人で、捕囚から帰って来た人々に対して神様から遣わされ、彼らを励まして神殿再建計画を完了させました。

  彼は特に、指導者である総督ゼルバベルと祭司ヨシュアの二人に語りました。 本書には、その工事の進行を早めるための、五つの預言的説教があります。

  説教はすばらしい結果をもたらし、神殿は紀元前五一六年に再び奉献されました。


ゼカリヤ書(ゼカリヤの預言)

 ゼカリヤはハガイと同時代に活躍した預言者で、捕囚から帰った人々に対して遣わされました。 彼は、恐れず神様に仕えるよう、人々を励ましました。 本書は一連の八つの幻で始まります。

 非常に絵画的な描写のうちに、神様の威力、種々の出来事を神様が支配されること、霊的な力の重要性、罪に対する神様のさばき、壮大な将来についての約束などが語られています。

 次に、特定の時期を指さない預言が続き、一般的な励ましと来たるべきさばきのことが記されます。 本書の最も重要な部分は、キリストの到来に関する預言です。


マラキ書(マラキの預言)

 マラキは、捕囚から帰った人々のために遣わされた預言者で、彼らの霊的熱心が冷えきった時代に活躍しました。 ネヘミヤとエズラが、礼拝儀式や政治上必要な改革を手がけたのに対し、マラキは、人々に霊的問題を真剣に考えるよう教えました。

  マラキが論じた根本的な問題は、祭司の堕落、神殿が軽視されること、家庭における個人的な罪などでした。

 本書は、来たるべきメシヤとその先ぶれのバプテスマのヨハネ(ここではエリヤと言われる)についての預言で終わっています。こうして旧約聖書は、神様が新約聖書でなされることを待望しつつ終わるのです。


(『リビングバイブル』いのちのことば社 からまとめたものです)

 

ウクレレ賛美